ソライロは、3人の男の子の母親。
ふたごの自閉症男子+弟+夫と5人家族。
夫の地元で暮らして12年目に突入~
現在38歳、アラフォー主婦。
ふたご妊娠をきっかけに、びっくりすることだらけの母親生活を送ることになるとは、、、
結婚前の私は知る由もありません(笑)
結婚と出産
高校を卒業して、大学進学のため一人暮らしを始め、就職活動も順調に進み、新入社員の2年間はとてもとても頑張りました。
そして、夫と出会ったのが25歳。
仕事に疲れていたのもあったし、結婚に憧れていたのもあったので、この人と結婚したら幸せで楽しい日々が待っているはず!と思い込んでいた若かりし頃の私。
結婚して、母になりたいと決めたことが、人生の大きな岐路であったことは間違いない。
母子手帳を2冊もらう
ふたご妊娠発覚は、妊婦検診の母子手帳をもらう日でした。
妊婦検診中にお医者さんの様子がおかしく、
全然喋ってくれない。。
説明してくれない。。
「あのー、どうかしましたか?」と思わず聞いてみたら
「ちょっとまって」とまさかのお返事。
なんか不安になってきたその時、
「ふたごかもしれませんねぇー」と。
「んんん???ふたごってなんですか???」
というようなやり取りがあって、検診が終わって、その場にいた妹に話して、
実家に電話して、夫にも電話して、母子手帳もう1冊もらってきてくださーいと言われた記憶があります。
一卵性という診断でした。
切迫早産で入院、そして緊急帝王切開で出産
まぁ、仕事もしていたので、
産休がふたごは早めに取得することができるという特権が嬉しくて、日に日に大きくなる自分のお腹を抱えながら、つわりもそんなにひどくなく、無事に産休に入ったときはほっとしたのもつかの間、すぐに切迫早産で入院になりました。
ほんと、よく産休まで仕事できたな私。
入院生活も一応、そこそこ順調だったので、出産はどうしますか?と、そんな話し合いもありました。
予定の帝王切開で出産するか、無痛出産するか、自然分娩するか、、
お医者さんのお話では、自然分娩で一人目を出産しても、二人目が緊急帝王切開になることもあるし、それはその時にならないとわからないけど、予定通り39週まで順調に育ったら自然分娩かなーみたいな話で、私は初めて子どもを産むということへの不安がよぎったことは忘れません。
そこから2カ月の入院生活を経て、34週で高熱がでて、緊急の帝王切開で生まれてきた我が息子たち。
小さくても二人とも2000g超えててほっとしたのと、元気な泣き声に安心したのを覚えています。
子どもたちは3000g超えないと退院できなくて、NICU/GCUに約1カ月入院してからの退院だったので、私は出産後退院すると、毎日、搾乳した母乳を届けに面会に行っていました。
早く退院して一緒に暮らしたいと寂しい気持ちが募っていました。
ふたご育児開始
そんな寂しい気持ちも、退院一日目からどこへやら。
そもそも、育児が初めてのことばかり。
ここは物凄くたくさんお話したいことがありすぎるので、
ふたご育児エピソードで詳しく紹介していきます。
三男出産、ふたご+弟育児開始
ふたごが2歳3か月のころ、末っ子三男を里帰り出産しました。
どうやって私は子育てをしていくんだろう、、、
こんなことを考えていたわけではありません(笑)
持ち前の能天気な性格から、どうにかなるだろうと楽観的に考えていました。
本当に、昔の私は育児に関して無知で、何にも考えていなかったのです。
そんなころ、ふたごの言葉が遅いことや指差しをしないことなどから「発達障がい」というフレーズを私は知りました。
ふたご二人とも自閉症と診断を受ける
ふたごの言葉が気になりだした1歳半ごろから言葉をしゃべっても消えていくことや指差しをしないこと、名前を呼んでも振り向いたり振り向かなかったり、、、
私とできることが他の人とは全然できないこと、
末っ子の生後半年の乳幼児健診で、ふたごの言葉について相談すると、保健師から児童デイサービスの紹介をしていただきました。
療育施設とは全然知らず、日中少しの時間でもふたごを預かっていただけるということに惹かれて通い始めると、発達外来の受診を勧められ、小児精神科医からふたごが3歳3か月の頃、自閉症の典型的なタイプですね。と診断を受けました。
そろいもそろって自閉症。
自閉症ってなに?知的障がいとの違いはなに?発達障がいってなに?これからどうしていけばいいの??
こんなことを考えながら、一人で三人抱えて病院からの帰り道、路頭に迷うような不安な気持ちが押し寄せてきて、涙が止まりませんでした。
3日くらい泣いたかな。もっとかな?笑
小児精神科医に言われた言葉が、将来への不安や現状の子育てに疲れ果てた私に、
頭の中をぐるぐると繰り返し語り掛けてきました。
自閉症は発達障がいに含まれるということ
自閉症は社会性やコミュニケーションの障がいであること
発達障がいを抱えている子は、刺激に敏感であること
知的障がいと重複診断されることもあること
ゆっくりでもふたごなりのスピードで成長していくこと
自閉症児の療育にはABA(応用行動療法)が有効であること
たくさん泣きながら、Amazonでたくさん本を注文していました。
これらが届いてからは、母親である私にしかできないことがたくさんあるということを知り、泣くこともなく、前向きな気持ちで目の前の可愛い我が子たちとの日々が戻ってきました。
そうだ!
この子たちは私が産んだ、私の宝物だ。
自閉症と診断されたからって、可愛い大切な子どもたちであることに何も変わらない。
私がくよくよ生きてたら、不安が伝染して、子どもたちも不安になってしまう。
できることをやっていこう。子どもたちと一緒に、自分も楽しみながら、やってみよう。
そして、私は前に進むことを決めたのです。
応用行動療法に出会う
ここから、私の子育ては一変しました。
応用行動療法についてオンラインで3か月勉強(ペアレントトレーニング)し、ABA療育を実践し、日常生活に取り入れるため、
つくば市で実家の母と子ども3人、10カ月間の療育短期移住生活に行きました。
ふたごの幼稚園入園・小学校入学
夫の地元に帰ってきてからは、引き続きオンラインでABA療育を行いながら、ふたご幼稚園(年中から)スタートや、自己研鑽(IT資格の取得)に励んでみたり、末っ子がスポーツ少年団に加入したりと慌ただしい日々がつづいています。
小学校入学時には、地元にない養護学校を教育委員会から再三勧められましたが、親元を離れるには早すぎることや今まで実践してきた応用行動療法のすべてが台無しになってしまうことを理由に、地域の小学校へ進学しました。
2022年現在、ふたごは小学5年生。
中学進学について県教育委員会や学校と地元で進学する方法について、相談しながら模索しているところです。
地元で暮らしていくために
私たちが住んでいる夫の地元は、田舎です。
もっと言えば、離島なのです。
養護学校もないし、過疎化が進み、集落のほとんどが高齢者。
森や自然が豊かで、祖父が営む畑や果樹園があります。
地元の小学生が10年後には地域の大人となり、我が家のふたごに理解を示して気軽に接してくれる人がたくさんいるこの地域で、将来的にもふたごと生活していきたいと考えています。
そのために私ができること。
社会とのつながりを大切に、今後は私自身が地域社会に貢献できるように、これからもまだまだ自己研鑽の日々は続くのです。