新年が明け、ひいばーちゃんを招いて家族そろって食事会も開催した矢先、家族そろって全員コロナ陽性となりました。
自閉症ふたごの発熱外来の様子なども含めて、我が家の療養生活について紹介します。
発熱
1日目、私発熱
我が家のコロナ発覚は、1月8日の夕方、私の体調不良&発熱でした。
体がだるくて、少し頭痛もありました。
色々と用事があり、市販の抗原検査キットを使用して陰性だったため、すぐに休むことができずに、葛根湯を飲んでマスクをしながら動いていました。
しかし、夜に38度を超える熱がでるとさすがにベッドへダウン。
普段はふたごと末っ子と私は同じ寝室なのですが、さすがに自分で自分を隔離して、隣の部屋で眠っていると、
ふたごは私が心配で、お茶を持ってきたり、同じ部屋で眠ろうとしたり、動かない私をリビングへ連れて行こうとしたりと、不安そうにしていました。
2日目、ふたご発熱
そして次の日、1月9日朝、ふたごもそろって39度近く発熱し、私もふたごと同じ寝室へ移動して三人で寝込みながら、テレビを見ている夫へ、ふたごの検温や
パルスオキシメーターや
水分補給
を都度呼びかけていました。
紙袋にレジ袋をセットして枕元に置いて、ごみ箱兼いつ吐いても大丈夫なように準備したり、脱水にならないように、水分摂取にも気をつけていました。
そして、トイレに動くのもしんどくて我慢しがちなので、朝昼夕夜はおしっこに連れて行くのも忘れずに気を付けていました。
1月10日は3学期の始業式でしたが、9日に学校の担任から連絡があった際に、3人とも休む旨伝えました。
この日の夜、症状のない三男は夫と二人で別室で眠りました。
過去のふたごPCR検査
さて、ここから発熱外来にどうやって行こうか考えものでした。
2022年の5月末にも発熱で3人が一斉にダウンして、発熱外来に連れていったことがあるのですが、その時私は元気だったので、運転もできたし、説明もしっかりできました。しかし、自分が発熱で動けないと発熱外来に連れて行くなんてとんでもない。
私も誰かに連れて行ってもらわなければ動けないのに・・・
過去の発熱外来受診のときは、私がふたごの頭を押さえ、検査の鼻からいれる綿棒を医師がぐりぐりすると、ふたごはそろって鼻血をだしました。
きっと、痛かったと思います。
唾液検査は、一時期長男が常に口に唾液をためていることがあったのでできることもありましたが、次男はさっぱりできませんでした。
マスクもくしゃみをするときに外してしまうので、ふたごを連れて受診する気力が私にありませんでした。
翌日夫がどうしても仕事を休めない(抗原検査キットで陰性だったら)というので、夫が帰宅後に発熱外来にひとりでカロナール飲んで行こうと決めました。
3日目、夫仕事で不在・私と息子3人ダウン
さて、この日は未だ熱の下がらない私とふたご。
頼りになるのは8歳の三男ひとりでした。
近くに住む義理母が心配して、差し入れ何がいいかと電話がくるのですが、その電話で話すのもしんどくて、眠って気づかないこともあしました。
すると正午ごろに三男が頭が痛いと言い出し、その数時間後に39度の発熱が始まりました。
涙目で頭痛と体がだるいことを訴え、「これは地獄だ」というので、三男はカロナールを飲みました。
相変わらず、背中に根が生えたようにベッドから動かないふたごと私ですが、ついに三男も感染してしまいました。
この期間、私と夫は市販の3種類の抗原検査キットをそれぞれ使用し、毎回陰性がでていました。
この日私は、子どもたちが脱水にならないように、水分摂取に気を付ける以外方法がありませんでした。
ばーばの差し入れのゼリーをふたごが食べたことを覚えています。
4日目、「インフルエンザ&コロナ」同時検査
みなし陽性ができるようになった現在、私が代表で検査を予約して出かけました。
予約した病院までは車で50分ほどかかります。
到着後、車で待機していると受付の方が来て下さり、インフルエンザとコロナの二つ検査をしていただきたい旨伝えました。
そして、医師が綿棒を2本鼻へ同時にぐりぐりと検査してくださり、事前に電話で伝えていた症状の薬を頂きました。もしコロナ陽性だった場合の在宅療養期間は、私が1/15でふたごが1/16とのことでした。
そして検査結果は後程電話しますと言われ、帰り道の途中に連絡があり、「インフルエンザはどちらも陰性でしたが、コロナ抗原検査が陽性でした。」と言われました。
あんなに何度も抗原検査キットを使用していたのにー!!
これは大変だとすぐ夫に電話しました。夫も仕事上、検査確認する必要があり、夕方予約して検査すると、見事に陽性でした。
学校にもコロナ陽性だっとことを伝え、学校は1/23から登校することになりました。
療養の様子
それぞれ、発熱から4日目になると、熱も下がり、家の中を歩き回れるようになり、食欲もでてきました。
差し入れのアイスやゼリーなど、冷たいものが美味しく感じられるようになったのも解熱してからでした。
スープを作り、白菜とうどんを柔らかく煮て卵でとじた、温かいうどんが美味しくて、私と長男は食べていました。
問題は次男です。
もともとこだわりから、偏食ではあるのですが、炭水化物やくだものを全く食べず、今回の療養中は、「鶏むね肉を塩麴に漬けて切って小麦粉をまぶして焼いたもの」と「お菓子」しか食べませんでした。
次男は喘息持ちなので、調子が悪いときはパルスオキシメーターを使うことは慣れていて、今回もベッドから起き上がったかと思ったら、パルスオキシメーターを自分で計って私に見せていました。
酸素濃度は99%や98%と今回は下がらず、本当に良かったです。
しかし、みるみる痩せていくので、義理母に鶏むね肉2つ入りを5パックも買ってきてもらい、ほとんど次男が食べました。
そして、自宅待機期間が終わるころにやっと炭水化物もスープも食べるようになりました。
三男は「みんな一日1回しかごはん食べないから、少食になったね」と言いながら、熱が下がるとTVを独占してfirestick
でAmazonプライムビデオhttps://amzn.to/3L49Fnzでワンピースを何話もみて、ゆっくりと過ごせる時間を満喫しているようでした。
快復に向けて
コロナ感染後は、寝たきりの期間もあったので、体力が低下しています。
想像していたよりも体力低下していたと思います。
登校は発熱から2週間経過してから
自宅待機期間があけても登校までしばらく期間をあけたのは、発熱から2週間は人にうつす可能性があると病院から言われていたからでした。
仕事などで外出しないといけないときなどは、しっかりとマスクや人と距離をとることが大切とのことです。
ふたごはマスクも教室で外してしまったり、人との距離も近く、給食なども考えると、自宅待機があけても発熱後2週間までは登校を控えることは明白でした。
久しぶりの外出・散歩
ということで、自宅待機があけて登校していない日は、近所の山道を散歩しました。
年末年始から、集落でもコロナ陽性者が多くいたと聞いていました。
パンデミックから3年半経ってようやく、地方の田舎で感染しても人の目を気にせずに「コロナ感染しちゃった」と公に話せる状況になっていました。
会う人からは「大丈夫だった?復活したねぇ」と励ましの言葉もありました。
持久走大会は欠席
体力が回復するまでには時間がかかり、喘息やアレルギーなど持病がある我が家は、登校開始後間もなく開催される持久走大会は欠席することにしました。
息子たちは、持久走大会を休めてほっとしているように見えました。
三学期は周囲より2週間遅れて開始ましたが、午前登校から始めて、登校しぶりもなく学校生活を過ごしています。
次回予告
こうやって小学5年生三学期が開始しました。
今年は最終学年、小学6年生です。中学の進学についてもどうするか決めなければいけません。
次回は、「[2023.6]ふたご修学旅行」私も同行した様子をお伝えします。
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