ふたご育児

【エピソード3】緊急帝王切開とふたご退院

緊急帝王切開となった日、ふたごは34週4日。

少し早いですが、推定体重も2000g超えているし、羊水検査の結果、高熱の影響が胎児へない今のうちに出産しましょうということでした。

私が産後1週間で退院し、ふたごはほぼ出産予定日まで約1カ月ほど入院後、退院となりました。

緊急帝王切開

今も残る下腹部の10センチほどの手術痕。

ここから子どもたちが生れてきたということが奇跡のように感じます。

ふたご出産

あれよあれよという間に手術台にいて、麻酔で感覚はないのに不安な気持ちから肩が震えて涙がとまりませんでした。

あっという間に一人目の泣き声が聞こえて、保育器に入る我が子を横目にみながら、今度は感動の涙がとまりませんでした。

そして、二人目もあっという間に出てきて、二人そろって私の横に少し顔をみせた後、運ばれて行きました。

高熱が下がらない

そこから子どもたちに会えるまで3日かかりました。

なんせ高熱が下がらない。

帝王切開から病室へ戻ると、母と夫と妹がいました。

次の日には夫の両親も駆けつけてくれたのですが、高熱にうなされる私はほとんどしゃべれませんでした。

熱が上がる前に全身が震えるほどの悪寒で、熱が上がったら苦しく、下がるときにぱじゃまがしぼれるほどの汗をかく、、、というのを何日が繰り返していました。

初めてのオムツ替え

夫が仕事を休んでずっと病室にいました。

たまに看護士さんから呼ばれていて、何かなぁーときいたら、

なんと!子どもたちのオムツを変えているというのです!!!

いーなー!!ずるい!!!笑

子どもたちは生後5日くらいはNICUにいて、夫しか入れなくて、毎日毎時間たくさん写真をとって私に見せてくれていました。

いーなー!!ずるい!!!ずるい!!!!笑

絶対早く治して、私が産んだ可愛い子どもたちを抱っこするぞ!!!

という気合が入ったのと、夫が出生届とか色々手続きしているのですら、うらやましかったのを覚えています。

貧血

熱が無事下がったら、今度は貧血で頭を起こせませんでした。

高熱の影響でかいた大量の汗で浮腫みはすっかりと消え、お風呂には入れない日々が何週間も続いていたので、髪はぼさぼさでお団子にしていました。

それでも会いたい我が子。

熱が下がり許可がでると、すぐに車いすでNICUに移動し、会いに行きました。

貧血でふらふらな状態でしたが、保育器に入る我が子たちのあまりの小ささにびっくりでした。

ふたごに会って元気がでたのか、

その晩、おっぱいが岩みたいに張り、乳腺を開通させるため、信じられないくらい痛いマッサージを受けて、無事母乳も出るようになりました。

母になるって大変でした。

ソライロ退院

そんなこんなで、産後一週間で10キロ減量していた私は、母に支えてもらいながら、貧血と筋力低下の影響のおぼつかない足取りで、退院となりました。

三姉妹で暮らしていたマンションが、大学病院からとても近かったので、体力低下していた私には、本当に助かりました。

ゆっくり休みながら、たくさん眠って、そして母にサポートしてもらいながら、毎日GCUにいるふたごに会いに行くのが私の楽しみで、リハビリでした。

搾乳ってなに?

搾乳って聞いたことがありますか?

私は退院するまで知りませんでした。

確か、退院案内の時にもらったたくさんの資料の中に入っていて、

結果、搾乳機をレンタルして、必要な器具などを購入しました。

搾乳中というのは、結構つまらない時間なのですが、うまく搾乳できないと母乳が残ってしまうので、首や肩がつかれました。

そして、搾乳した母乳は冷凍します。冷凍して、こどもたちのいる大学病院へ届けるのです。

GCUへ毎日面会に通う

GCUへ入院するふたごに会いに行くには、面会時間が決まっていて、滞在時間は1時間程度でした。

広い大学病院の駐車場に車を停めて、そこからふたごのいるGCUまでの道のりは、体力低下中の私にとって、何回か休憩しないと歩けないほど、長い道のりでした。

母は、産後から約半年、私とふたごが夫の待つ離島へ引っ越すまで、一緒に暮らしながら毎日私とふたごのサポートをしてくれたのです。

授乳とお風呂指導

さて、GCUへ到着すると、まずはふたごに挨拶して、抱っこして、入浴を教えてもらって、着替えて、ミルクをあげて、ゲップをさせる。

こんなスケジュールだったと思います。

途中から、ミルクではなく、搾乳して届けていた母乳を解凍し温めて、哺乳瓶であげていました。

口が小さくて直接授乳できるようになるのは、いつになるんだろう。。と小さいふたごの体重が速く増えてくれますように…と願っていました。

ふたご退院準備

さて、ふたごも出産予定日に近づくにつれて、どんどん体重も増えていき、退院予定日もきまりました。その頃には私の体力も少しづつ回復してきていて、退院に備えて、母と買い出しに出かけた時の話です。

退院服

買い出しは、母とイオンに行きました。

哺乳瓶やミルク、赤ちゃんの布団やオムツに肌着、おしりふきなど、ふたり分!次々とカートが山盛りになっていきます。

そして、ベビー用の洋服コーナー♡

ほとんど購入していなかったので、あまりの可愛さに、見るものすべて可愛くてお金がいくらあっても足りないじゃないかーーーー笑

その頃のふたごは60センチの洋服が大きくて、だぼだぼでした。

お友達や職場の同僚からも出産祝いとしていただいていたので、ほしくなるけど我慢。まだ袖も通してない服がたくさんあるのです。

そんななか、母が絶対に必要と言い張ったのが、退院の時に着る真っ白なドレスのような服でした。

正直、いい値段するし、買うならふたつ必要だし、いるか?!?!?!

と思いましたが、買いました。

このドレス、ふたごは退院の日一度しか着ることはなかったのですが、その後末っ子や、妹の子どもも着たので、まぁ、買ってよかったんだと思います。

世間一般は、やっぱり退院ドレス、買うのかなー??

チャイルドシート・ベビーカー

そして、ネットショッピングでもたくさん買い物をしました。

授乳クッションやベビーカー、抱っこ紐にチャイルドシート、ベビーバウンザー、オムツ専用ゴミ箱などなどです。

たくさん購入しましたが、買ってよかったものランキングを付けると、

第1位:授乳クッション

第2位:抱っこひも

第3位:ベビーバウンザー

基本、今でも車移動なので、絶対必要だったのはチャイルドシートだけど、正直ベビーカーはなくても大丈夫だったなー。

出産費用

そんなわけで、たくさんお金がかかりました。

出産費用は助成金がでたのと、入院費用も限度額適用認定証を発行してもらって、支払いました。あとは、医療保険にも加入していたので、そこからも入院や手術費用が少しおりました。

それでも、ふたご育児ってお金がかかる。

その頃の私は収入があったので、これは、会社やめたらどう生活していくんだろう。夫の給料っていくらなんだろう。。ということを考え始めたのもこの頃です。

ふたご退院

待ちに待ったこの日は冬の寒い日でした。

夫や私の実家の父もやってきて、みんなでお祝いしました。

母と私で一人ずつふたごを抱っこして、真っ白な退院ドレスをきて、タクシーに乗って、ふたごと一緒に暮らす生活が始まりました。

シナジスワクチンの接種

ふたごは早産だったため、シナジスというワクチン接種を紹介されました。その頃は自費でしたので、量によってかなり高額でしたが、健康に変えられるものはありません。

シナジスワクチンの接種を毎月1回大学病院へ退院後、4回接種しに行きました。そして、そのワクチン接種が終わってから、夫の待つ離島へ引っ越すことに決めました。

母と妹たちとふたごとの約5カ月

なので、退院後の約5カ月、私たち三姉妹が暮らすマンションで、母とふたごといつ眠ったかどうかわからない毎日を過ごしました。

ふたごは母乳とミルクの混合(だって母乳が足りないの!)で育てていたので、母や妹たちはミルクやオムツ替えだけでなく、なんで泣くのか分からないふたごをたくさん抱っこしてくれて、あやしてくれました。

毎晩、1~3時間おきに起きて泣くふたごを私と母で交互にひとりずつ担当し、夜中のオムツ替えと授乳をしていました。

母が実家に用事があり、2泊いなかった日は、妹たちが一晩ずつ、ふたごのオムツ替えとミルクをあげてくれたことがあって、朝がた、げっそりした妹が「全然眠れんかった。もう無理。ちょっと寝るから。」と言っていた姿を覚えています。

そして、妹たちも「職場のひとから赤ちゃんのにおいがするって言われた♡」と言いながら、幸せそうな顔でふたごを可愛がってくれました。

本当に、母と妹たちには感謝でいっぱいです。

全然タイミングの合わない二人の睡眠時間のなか、ふたごも生後半年頃には、3時間はまとめて眠るようになっていました。

次回予告

こうやって三姉妹で暮らすマンションで、生後約半年過ごしてから、首を長くして待つ夫の地元へ引っ越しました。

次回は、田舎暮らしがスタートし、一人でふたごと奮闘する日々の様子をお伝えしていきます。

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ABOUT ME
ソライロ
発達障害(自閉症)双子の男子とその弟を育てている母