ふたご育児

【エピソード2】ふたご妊娠

ソライロのふたご妊娠は、自然妊娠です。

母子手帳を確認すると、第10週にふたご発覚していました。

これって早いの?遅いの??

多胎妊娠の特徴ってなに?

どういったことに気を付けたらいいの???

何か特別なことが必要なの????

と、とにかく、わからないことや不安なことばかりの多胎妊娠について、

10年以上前ですが、私はこの1冊からすべて学びました。

おススメ書籍

これ一冊。笑

たまひよ新・基本シリーズ+α「双子&三つ子ママの妊娠・出産・育児」

現在、2014年に最新版が発売されています。

ソライロが持っているのは、最新版ではない2010年11月30日第5刷発行です。

絶対読んで!

難しいことも書いてあるし、出産するまで不安がなくなるわけでないけど。

それでも、理解することで、安心することや準備できることもあります。

そして、お医者さんの話が少し理解できるようになります。

ふたご妊娠発覚時

夫は離島に住んでいて、私は本土に住んでいたので、入籍はしていたけど、遠距離結婚でした。

実はこの時期、結婚式の準備中で、式を挙げてから、今後の仕事について考えていこうと話していました。

そんな時に妊娠が分かり、同居している妹が産婦人科に勤めていたので、その産婦人科で妊婦検診を受けていました。

検診中のやり取りは、プロフィール記事より抜粋。笑

↓↓↓

妊婦検診中にお医者さんの様子がおかしく、

全然喋ってくれない。。

説明してくれない。。

「あのー、どうかしましたか?」と思わず聞いてみたら

「ちょっとまって」とまさかのお返事。

なんか不安になってきたその時、

「ふたごかもしれませんねぇー」と。

「んんん???ふたごってなんですか???」

というようなやり取りがあって、検診が終わって、その場にいた妹に話して、

実家に電話して、夫にも電話して、母子手帳もう1冊もらってきてくださーいと言われた記憶があります。

一卵性という診断でした。

↑↑↑

という訳なのです。

この時のソライロの頭の中は???がいっぱいで、気持ちは高揚していて、検診後、駆け寄ってきた妹へ「ふたごって言われた」と話すので精一杯でした。

妹がバックヤードで看護師さんやお医者さんと話した後、私のもとへ戻ってくるまでの間に、夫と実家に連絡していました。そして、実家の母から電話ごしに「あら、それは大変!」ということばを頂きました~

夫の反応は覚えていません。笑

たぶん、「え?そうなの?わかったー。気を付けて。」みたいな感じだったと思います。

それより、母のことばのほうが印象強くて。

母は、私たち三姉妹を育てただけでなく、保育士&幼稚園教諭の資格があり、たまにヘルプで保育士の仕事をしていました。

なので私よりずーーーっと色々詳しい、実家の母に、本当に頼りっぱなしの生活を送ることになるのですが、まだこの時の私は母の言葉の奥深さを、理解すらしていないのです。

会社へ報告

検診後には母子手帳を2冊もらって、会社へ帰りました。

職場の先輩から「遅かったね。どうしたの?大丈夫??」というお気遣いの言葉をいただいたので、その場でその人に、「ふたごでしたー!!!!!」と話しました。

多胎妊娠は産前の産休が、通常より長く設定されていて、日に日に大きくなるお腹を抱えながら、電車通勤から車通勤へ変更したり、お腹が張ったような感じのときは、医務室で休ませていただいたりしました。そして、どうにか仕事の引継ぎも行い、しばらくお休みをいただく旨、たくさんのみなさんへご挨拶メールを送ってから産休へ入りました。

切迫早産で入院

ほっとしたのもつかの間、妊娠28週ごろ、すぐに切迫早産で入院となりました。

その検診のことはよく覚えています。

浮腫みが出ていたのと、度々お腹が痛くなる話をしたら、子宮頚管が短くなっていて、即入院となったのですが、一般的な産婦人科では、二卵性双生児の出産はあるものの、一卵性双生児は羊膜や羊水の状態次第では、大学病院などの大きな病院で経過観察をすることが重要になってくるというのです。

幸いにも、お腹の子どもたちに異常は見当たらず、妹が勤める病院に入院できたら心強いこなどを相談すると、主治医が2人体制となり、大学病院も兼任されている医師にも経過観察していただくことになりました。そして、何か少しでも異変があった場合は、大学病院へ転院することを条件に入院させていただけることになりました。

しかし、妹が勤める病院はその日満床で、一晩分娩室で過ごしました。

初めての入院という心細さと、不安で泣きながら眠れない夜を過ごしたことを覚えています。

次の日、病室に案内していただいて、トイレから一番近い病室で、最低限しか動いてはいけないという説明をいただき、移動も車いすでした。そして点滴が開始しました。

昼休憩や仕事が終わると妹が顔を出してくれて、休みの日は末の妹も漫画をたくさん借りて持ってきてくれて、病室で過ごす日が過ぎていきました。

夜な夜な夫と電話で話しながら、子どもたちの名前どうするかとか話をしたり、いつか読みたいと思っていたハリーポッターも全シリーズ読破しました。

大学病院へ転院

それまで順調に育っていたお腹の子どもたちですが、

妊娠32週目に、羊水に差が出てきているようだと、大学病院へ転院になりました。

移動は救急車。お世話になった病院で出産できない不安な気持ちが募っていました。

友達や職場の同僚や夫の実家の両親も、お見舞いに来てくれました。

お腹はとても重く、仰向けには眠れなくなっていました。横になっていても苦しいので、早く時間が過ぎてほしいと同室の妊婦さんと話していました。浮腫んで体重は増えるのに、胃が圧迫されて、食事は少しの量でも気持ち悪くなっていました。

そして、妊娠34週のある日曜日、高熱が出たのです。

次の日、羊水検査をして、緊急帝王切開となりました。

次回予告

次回、緊急帝王切開の様子と私や子どもたちの退院までのエピソードを紹介してきます。

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ABOUT ME
ソライロ
発達障害(自閉症)双子の男子とその弟を育てている母